唐津焼の特徴と歴史
唐津焼の特徴・歴史
唐津焼は日本の南西部に位置する佐賀県東部で焼造されている陶器で、伝統工芸品にも指定されている日本を代表するやきものの一つです。
土味が活かされた素朴で温かみのある作風で、日常雑器から茶器まで様々なシーンで使われ、親しまれています。
特徴
唐津焼の特徴は李氏朝鮮から伝わったとされる伝統的な技法が今に根付いているところです。
特に蹴ロクロ、叩き作りといった技法は古唐津から伝わる技法で、現在もこの製法を行っている窯があります。
窯は連房式登窯という大がかりな窯を用い、そこで1300度の高温で一気に焼き締めます。
唐津焼の粗くてざっくりとした土の質感と渋い色調は素朴さ、暖かさ、力強さを感じさせます。
また、「使われることで完成する」焼き物であると言われ、使うほどに土色が変化し、貫入(釉薬に発生するヒビ割れ)が入ることで味わいが増し美しくなっていきます。
*割竹式登り窯
歴史
唐津焼の起源は諸説ありますが、室町時代末期(1570年頃)から桃山時代(1573年~1603年)にかけて、岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたことが始まりとされ、当時より品質の高い日常雑器が造られていました。割竹式登窯や、蹴ロクロ、施釉など、朝鮮渡来の技術が古窯跡より発掘され高い技術が駆使されていたことがうかがえます。
また当時流行していた「茶の湯」に唐津焼の器が取り上げられたのを機に唐津焼は茶器としても有名になり、「茶の湯」には欠かせないものとなっていきます。
特に豊臣秀吉による朝鮮出兵、文禄慶弔の役(1592年・1597年)後は、多くの朝鮮陶工の渡来と更に量産可能な技術が取り入れられて規模が拡大し、唐津の港より茶器の名品をはじめ数々の日常雑器が積み出され、日本を代表するやきものとなりました。
江戸時代初期(1616年)陶石の発見により磁器(江戸時代全国に広がり又世界向けに輸出された古伊万里)が盛んに焼かれるようになってから後、唐津焼はかつての様な勢いをなくしますが、江戸時代を通じて唐津藩が江戸幕府に献上するための御用窯で唐津焼の伝統は受け継がれてきます。
明治時代(1868年~1912年)に入り藩の庇護を失った唐津焼は急速に衰退し、制作の再開は昭和初期に始まる古唐津復興を待ち望む人々に委ねることになります。かつて高い技術によって生まれた素晴らしいやきものに魅了される多くの人々の尽力により唐津焼は見事に復活し、現在では唐津市内に70以上の窯元が点在し、古の技法を守り育てています。